ぼくは本だよ。
最初に言っておくけど、ぼくはごく普通の本なんだ。だから、このお話には魔法使いの不思議な本も、おばけが取りついた怖い本も出てこない。でも、もうがっかりすることはないよ。ぼくの冒険は、そんなすごそうな本たちの冒険より、ずっと面白くてわくわくするんだから。
ぼくは今朝、資源ごみに出された。毎週水曜日になると、マンションの住人たちが紙やプラスチック、ガラス瓶、ビニールなんかを持ってきて捨てるんだ。
ぼくの最初の持ち主だったドヨンは、もう本を読まない。スマートフォンのゲームのほうが好きなんだ。ぼくは長いあいだ、本棚にいいかげんに突っ込まれたままだった。するとドヨンのお母さんは、引っ越しを口実に、ぼくをはじめたくさんの本を資源ごみ置き場に捨ててしまった。
古本屋に売るか、図書館に寄付してくれたら、どんなによかっただろう。そうしてくれたら、新しい友だちに出会えたかもしれないのに。ぼくは日曜日の朝から、ほかの本たちと一緒にひもで縛られたまま、怖くて震えていた。なんと三日三晩もだよ。
ドヨンがひもをほどいて、たった一度でもぼくを開いてくれないかと、どれほど願ったことだろう。でも、そんな奇跡は起こらなかった。本当のことを言うと、ドヨンは今まで一度だってぼくに触れたことさえないんだ。子ども向けのお話全集の三十八巻目だったぼくは、あまり運がよくなかった。ドヨンは一巻と二巻以外には手も触れなかったからね。だからといって、一巻と二巻のほうがずっと運がよかったとも言えない。ドヨンがその二冊を読んだわけじゃなかったんだから。
山のように積まれた紙の中で、ぼくは息をするのも苦しかった。そしてとうとう、再生紙になるという自分の運命を受け入れた。この世に素敵な物語の本として生まれてきたのに、誰ひとり楽しく読んでくれなかったし、愛してもくれなかった。だったら、生まれ変わって、もっと素敵な本になるのも悪くないと思った。ぼくはそこに最後の希望をかけた。
水曜日が過ぎて、木曜日の朝になった。鉄でできた巨大な手を持つトラックが、資源ごみを回収しにやって来た。最初にプラスチックがトラックに積まれ、その次は紙の番だった。巨大な鉄の手が、紙の入った大きな袋を次々とトラックに載せていった。
いよいよ、ぼくの入った袋が積まれる番になった。ところが、巨大な手を操作していたおじさんが、突然飛び出してきた猫にびくっとして機械を止めた。そのはずみで、ぼくは背の低いイボタノキの上に落ちてしまった。
おじさんはぼくが落ちたのを見ていたのに、回収が終わると、見なかったふりをして資源ごみ置き場をあとにした。ぼくみたいなちっぽけな本を拾うために、時間を無駄にする必要なんてなかったんだろう。新しい本に生まれ変わろうというぼくの希望は、粉々に砕けた。 そのとき、恐ろしいことが目の前で起こった。
「おい! 待て!」
体の大きな子どもたちが、小さな男の子を追いかけながら叫んでいた。 小さな男の子は息を切らし、はあはあ言いながら資源ごみ置き場の前で立ち止まった。行き止まりだったので、もう逃げる場所がなかった。
「おい、チャン・ミンス! ここを通るなって言っただろ」
一人目の子が怒って言った。
「ここは俺たちのマンションなんだ。お前はこの道を通っちゃだめだ」
二人目の子が、ミンスの帽子を手ではじいて落とした。
ミンスは地面に落ちた帽子を拾おうと腰をかがめた。 そのとき、ミンスとぼくの目がぴたりと合った。
「なんで返事しないんだよ?」
三人目の子が、ミンスを叩こうとするように腕を振り上げた。 するとミンスは素早くイボタノキのほうへ身をかわし、ぼくを拾い上げた。
「へえ! やるっていうのか?」
一人目の子がミンスにパンチを繰り出した。 ミンスはぼくを両手でぎゅっと握りしめ、そのパンチを受け止めた。一人目の子のこぶしが硬いぼくの表紙にぶつかると、痛くて泣きそうな顔になった。
すると二人目の子が、怒った雄牛みたいにミンスへ突っ込んできた。 今度もミンスは、突っ込んでくる雄牛の頭を、ぼくの硬い表紙で落ち着いて受け止めた。
ミンスが三人目の子に一歩近づくと、その子は飛びかかることもできず、びくびくしながら後ずさりした。 とうとう三人とも、ミンスの反撃に驚いて一目散に逃げていった。
ミンスはぼくを脇に抱え、得意そうに家へ帰った。 ミンスの家は、資源ごみ置き場の裏にある再開発予定の地区にあった。だからミンスは、ぼくの最初の持ち主だったドヨンが住んでいたマンションを横切って学校に通っていたらしい。そうしなければ、二十分以上も遠回りしなければならないからね。
ミンスの家には誰もいなかった。外から見た家はとても小さくて古びていたけれど、中は明るくてきれいだった。何もかもきちんと片づいていた。
ミンスは手と顔を洗うと、小さな部屋の机に座って勉強を始めた。 ぼくはこっそりミンスの顔を見ていたんだけど、何かとてもいいことがあった人みたいに幸せそうだった。
さっきの意地悪な子たちをやっつけたからうれしいのかな。それとも、今日学校で友だちと何か楽しいことがあったのかな。 どうしてミンスがそんなに幸せそうなのか、ぼくは気になった。 だから、とても小さな声でささやいた。
『何かいいことがあったの?』
するとミンスはこう答えた。
『うん。物語の本が手に入ったんだ。ぼく、今まで教科書以外の本を一冊も持ったことがなかったんだよ。だから、すごくうれしい。おばあちゃんは、うちには本は高すぎるって言ってた』
ミンスは右手に持っていた鉛筆を机の上に置き、ぼくを一度なでると、胸にぎゅっと抱きしめた。 ぼくは生まれて初めて、誰かの腕の中に抱かれた。 胸がいっぱいになって、どれほど幸せだったか、言葉ではとても言い表せないよ。 ミンスはぼくを置くと、また宿題に夢中になった。そして一時間ほどすると、明日学校へ持っていく教科書と宿題を通学かばんに入れた。
ミンスは壁の時計をちらっと見ると、ぼくを手に取った。 そして壁にもたれ、声に出してぼくを読み始めた。 どれほど胸がどきどきした瞬間だったことか。
『ロボット少女ミリ』
こんにちは。わたしの名前はミリ。ミリという名前は「ミリネ」から取ったの。ミリネは、天の川を意味する韓国固有の言葉なんだって。今は真夜中でも明かりが多くて、星がよく見えないけれど、もし田舎に行ったことがあるなら、夜空を川のように流れる星を見たことがあるかもしれないね。金色や銀色の紙を空にまいたみたいに、きらきら輝く星たち。それが天の川なんだ……。
ミンスは三十分ほど本を読むと、もう一度時計を見た。 そして少しためらうような顔をした。
「ぐうううう」
突然、ミンスのおなかから、おなかがすいたという合図が聞こえた。 もう我慢できなかったのか、ミンスはぼくを持って台所へ行った。 ミンスは引き出しからカップラーメンを取り出し、電気ケトルでお湯を沸かした。三十秒でお湯が沸くと、気をつけながらカップラーメンに熱いお湯を注いだ。
ぼくは、ミンスがカップラーメンの上にぼくを載せるんじゃないかと、ひそかに心配した。 だって、みんな本を鍋敷きにしたり、カップラーメンのふたを押さえるのに使ったりすることがよくあるだろ。 でも幸い、ミンスはそんな子じゃなかった。 二分たつと、ミンスはカップラーメンのふたをすっかりはがし、ふうふう息を吹きかけながら、ずるずるとおいしそうに食べた。あんまりおいしそうに食べるものだから、ぼくまでおなかがすいてきたくらいだよ。
おなかがぱんぱんになったミンスは台所を片づけると、小さな部屋へ戻り、壁にもたれてぼくを読んだ。 くすくす笑ったり、悲しそうな顔をしたりしながら、物語の中へどんどん入り込んでいった。 そうして三十分ほど読むと、いつの間にかこっくりこっくりし始めた。 今日は意地悪な子たちと戦争みたいな大騒ぎをしたんだから、疲れるのも当然だよね。 ぼくはミンスが気持ちよく眠れるよう、本のまくらになってあげた。 ぼくをまくらにして夢の国へ入ったミンスは、わくわくする素敵な冒険を始めた。
「早く起きて」
ミリがミンスを揺すって起こした。
鉄のかたまりみたいに冷たいミリの手が肌に触れると、ミンスはびっくりして目を覚ました。
「きみは、もしかして……?」
「そう。わたしはミリ」
ミンスはミリの姿を見て驚いた。 ミリの腕と脚は鋼鉄でできていた。
「早く。時間がないの」
ミリはミンスの手をつかんで走り出した。 ミンスはわけも分からないまま、息が切れるまで力いっぱいミリについて走った。 ミリは、廃墟のようになった街のはずれにある秘密の場所へミンスを連れていった。 そして今起きている恐ろしい出来事について、一つずつミンスに打ち明けた。
「デカルコマニー組織が子どもたちを捕まえて、人造人間に改造しているの。わたしは運がよくて、腕と脚だけ鋼鉄に改造された。でも、デカルコマニー組織に従うように、頭へ人工知能チップを無理やり埋め込まれた子どももたくさんいる」
「デカルコマニー組織って何?」
「この世界を支配している組織よ。人々をだまして、自分たちの思いどおりに動かしているの」
「どうしてそんなことになったの?」
「人々は面倒なことを一つずつロボットに任せるようになったの。最初は掃除や運転みたいなことだった。やがて、何を選ぶか、誰の言葉を信じるかまでロボットに聞くようになった。本を読む人も減って、自分で考える人もだんだんいなくなっていったの」
「それで?」
「いつの間にか、人々は命令されることさえおかしいと思わなくなったの」
「あいつらだけの世界って、どんなところなの?」
「二〇七八年以降、赤ちゃんの泣き声まで消えたの。家族を作ったり、子どもを産んだりする人もほとんどいなくなった。人間にとって必要だった人間の役目まで、ロボットが代わりにするようになったの。人間の遺伝子は研究所に保管されていて、人が必要になれば作り出した。わたしもそうやって生まれたの」
ミリは自分の鋼鉄の腕を見下ろした。
「一か月前には、残りの体まで改造しろって命令されたの。だから逃げた」
「じゃあ、ぼくたちはどうすればいいの?」
「デカルコマニー組織を倒すには、まず最初に……」
そのとき、誰かが家の中へ入ってきて、ミンスの名前を呼んだ。
「ミンス!」
夢の中でミリとわくわくする冒険をしていたミンスは、目を覚ました。 そしてぱっと立ち上がり、「おばあちゃん!」と叫びながら玄関へ走っていった。
おばあちゃんはミンスを見ると、ぎゅっと抱きしめて言った。
「かわいい子。おなかすいたでしょう?」
「ううん。ぼく、先にカップラーメン食べたよ。おばあちゃんのほうがおなかすいてるでしょ?」
「はいはい。おばあちゃんが夕ごはんを作るから、ちょっと待ってなさい」
おばあちゃんは楽な服に着替えると、台所へ入った。 おばあちゃんが夕ごはんを作っているあいだ、ミンスは今日、資源ごみ置き場から持ってきた物語の本を自慢した。 おばあちゃんはミンスの話をよく聞いてくれた。
「じゃあ、夕ごはんを食べたあと、ミンスがおばあちゃんに本を読んでくれる?」
ミンスは元気よくうなずいて、「はい!」と答えた。 それからおばあちゃんを手伝って食卓の準備をした。 きれいなふきんで食卓を拭き、スプーンと箸をきちんと並べた。
ところが、黒い小さな虫が一匹、食卓の椅子のあいだを這っていった。 ミンスはびっくりして、食卓の上にあったぼくをつかみ、虫に投げつけようとした。 でも、本で虫を殺すのはどうしてもできなかったらしく、ティッシュを一枚取って、そっと虫をつまんだ。 そして窓から静かに外へ逃がしてやった。
夕ごはんを食べ終えたミンスは、おばあちゃんと一緒に食卓を片づけた。 おばあちゃんが皿洗いまで終えて椅子に座ると、ミンスは物語の本を開き、声に出して読み始めた。 一語一語はっきりと本を読むミンスがかわいくて、愛おしかったのだろう。おばあちゃんの口元には笑みがいっぱいに広がっていた。
ミンスが本を読み終えると、おばあちゃんはこう言った。
「ミンス、この世じゃ、本って最高なんだよ」
―おわり―