8月 再び、モンゴカンジャン

パリ到着。ソウルはもう8月2日だろうけれど、パリはまだ8月1日だ。うちの父さん、ヒジョンのお父さん、ヒジョン、そして僕。この四人が無事にパリの宿までたどり着けたのは「神のご加護」のおかげだ。それ以外に何かあるとすれば、「神の限りない愛」のおかげということにしておきたい。僕の自発的な信仰心は、ますます深まっている。

06:00 何となく目が覚める。夜じゅう飛行機が墜落する夢に苦しめられる。もう一度うとうとする。

07:00 父さんが僕を揺すって起こす。びっくりして飛び起きる。父さんに、どうしてベッドで寝ずに床に下りて寝ていたのか聞かれるが、乗り物酔いのせいだとは言えず、「何となくです」と答える。

07:05 天気を確認。雨で飛行機が飛ばなかったらどうしようと心配する。母さんは雷が鳴っても飛行機は飛ぶと言う。でも僕は、雷が鳴ったら飛行機は飛ばないほうがいいと言う。

07:20 ヒジョンが電話して、僕たちが起きているか確認する。

07:30 朝ごはんをしっかり食べる。韓国式のごはんを食べるのは、これが最後かもしれないから。

08:00 ヒジョンの家へ出発。母さんが送ってくれる。

08:25 ヒジョンの家に到着。ヒジョンのお父さんがトイレから出てこないと出発できないことをみんな知っているので、のんびり待つ。ヒジョンのお兄さんが僕たちに気をつけて行ってこいと挨拶して、自習室へ行く。少し申し訳ない。でもすぐ忘れる。母さんがヒジョンに「男たち」の面倒をよく見てねと言う。僕までひとまとめにされた!

08:30 母さんは会社へ出勤。

08:45 ヒジョンのお母さんが、遅れるからトイレから出てきなさいとヒジョンのお父さんに叫ぶ。

08:48 カーナビ設定。ヒジョンのお父さんが手提げ鞄を家に置いてきた。パスポートと航空券が入っているので、ヒジョンと僕が上へ取りに行く。

09:05 ついに仁川空港へ出発。ヒジョンのお母さんが、飛行機に乗り遅れるとヒジョンのお父さんに小言を言う。

09:20 ヒジョンのお母さんが時速60キロで走る。今日、本当にパリへ出発できるのか心配になる。

10:25 仁川空港到着。繁忙期らしく、空港は人でごった返している。

10:55 搭乗券を受け取り、荷物も預ける。父さんは『パリの場所たち』だけ小さな鞄に入れて持つ。僕はスマートフォンだけポケットに入れる。ヒジョンはヒジョンのお父さんの面倒を見る。

11:10 長い長い保安検査の列が、まったく短くならない。

11:25 出国審査通過。父さんが自動出国審査を利用できるよう登録してくれる。みんな長い列に並ばず、そのまま通過。でもパスポートにスタンプが押されなくて少し残念。父さんが、パリの入国審査ではスタンプを押してもらえると言うので、すぐ機嫌が直る。いつもの父さんらしくなく、ずいぶん手慣れて見える。

11:30 ヒジョンが僕のパスポート写真を見て、格好いいと言う。機嫌がいいので冗談を言ったらしい。

11:35 免税店見物。うちの父さんとヒジョンのお父さんは酒売り場で我を忘れる。僕が買えるものは一つもない。高すぎる。ヒジョンも何も買わない。

11:55 父さんがタバコの前をうろうろする。僕がスマートフォンを取り出して写真を撮ろうとすると、結局買わない。次からはこっそり撮らなければ。報奨金か、父さんの健康か、それが問題だ!

12:00 搭乗ゲート前で待機。僕たちが乗る飛行機がものすごく大きくて驚く。あれが本当に空へ飛べるのか、少し心配になる。

12:30 ゲートが開く。

12:40 搭乗完了。

13:05 離陸時刻なのに飛行機が飛ばない。空で雷が鳴る。体が固まり、緊張する。

13:25 機長が、中国上空に飛行機が多いため離陸待機中だと案内する。うちの父さんが「じゃあインドのほうへ行けばいいじゃないか」と言う。周りの人が笑う。僕も笑いたかったけれど、体が固まって笑えない。

13:35 ヒジョンが、どこか具合が悪いのかと聞く。違うと答える。

13:50 機長が15分後に離陸すると言う。

13:55 ヒジョンのお父さんがお腹がすいたと文句を言う。僕も急に空腹になる。

14:05 離陸。耳が詰まり、唾を飲み込む。雑誌で顔を覆う。ヒジョンが僕の手を握ってくれる。でもたいして効果はない。僕にも飛行機恐怖症があることを知る。

14:20 シートベルト着用サインが消える。ライト兄弟に敬礼!

15:00 機内食のビビンバを食べる。ヒジョンのお父さんは、パックご飯をもう一つくれと言う。客室乗務員のお姉さんが一つ持ってくると、うちの父さんももう一つくれと言う。冬眠を準備する熊みたいだ。

16:45 乱気流で飛行機が激しく揺れる。

19:30 ヒジョンに夕飯を食べろと起こされる。

20:00 スマートフォンの基準時刻をパリに変更。パリは現在午後1時。サマータイムなので時差は7時間。

15:00 パリは今、午後3時。機長がモスクワ上空だと機内放送する。気持ちよく寝ていたのに起きる。そんなこと、誰が知りたいと言ったんだ。

15:40 ヒジョンも起きる。あと3時間でパリ到着。父さんが起きて顔を洗い、歯を磨く。父さんは飛行機にたくさん乗ったことがあるように見える。僕は父さんが出張に行くところなんて見たことがないのに……。まさかプログラマーに化けたスパイじゃないだろうな?

16:00 ヒジョンのお父さんも起きる。トイレに入る。

16:15 客室乗務員のお姉さんが、ヒジョンのお父さんの入ったトイレをノックする。何か事故でも起きたのか心配しているらしい。ヒジョンが、お父さんの職業病ですと言う。お姉さんが笑いをこらえきれない。ヒジョンが航空会社にクレームを入れると言う。

17:00 まだパリ到着まで1時間もあるのに、みんな立ち上がって今すぐ降りそうな勢いだ。本当にパラシュートでも渡したら飛び降りそうだ。

18:05 機長が着陸案内をする。客室乗務員のお姉さんが人々を席に座らせる。必ず言うことを聞かず歩き回る人がいる。

18:25 着陸成功。両足が地面についたときの心理的安定とは何なのか分かった。

18:30 父さんと僕は荷物をまとめ、ヒジョンはヒジョンのお父さんの面倒を見る。

18:45 入国手続きと呼べるほどのものもない。パスポートにスタンプを押して、そのまま通過。

18:50 ヒジョンのお父さんが消える。うちの父さんが男子トイレへ探しに行く。

18:55 ヒジョンが、どこかへ行くなら前もって言ってとヒジョンのお父さんに言う。ヒジョンのお父さんは、あまりに急だったから仕方なかったと言う。最後まで謝らない。

19:05 まだ荷物が出てこない。

19:15 ついに荷物を受け取る。

19:20 うちの父さんとヒジョンのお父さんが、宿までどう行くか相談中。飛行機の中で相談しておけばいいのに。本当に!

19:35 とりあえずロワシーバスに乗ってパリ・オペラ座で降り、そこからタクシーで宿まで行くことにする。

19:40 ロワシーバスの乗り場が見つからない。父さんがインフォメーションセンターへ行き、韓国語ではっきりと「ロワシーバス、どこで乗りますか?」と聞く。ヒジョンと僕は驚いて口が閉じない。ところが驚いたことに、金髪のフランス人女性がバス乗り場の方向を手で教えてくれる。僕は韓国語のできるフランス人女性に会えてよかったと思う。

19:45 父さんがバス停で掃除をしているフランス人のおじさんに、「ここでロワシーバス乗りますか?」と韓国語で聞く。また驚いたことに、そのおじさんが「ウィ。ウィ。イエス。イエス」と答える。ヒジョンも笑い、僕も笑う。父さんも笑う。ヒジョンのお父さんも笑う。みんな笑う。お腹がよじれるほど笑う。ずうずうしいうちの父さん! すごい!

19:55 バスが来ない。金髪のおばさんたちと一緒に待つ。

20:05 まだバスが来ない。待っている人が十人ほどに増える。

20:15 ヒジョンのお父さんが、遅くなりすぎるからタクシーにしようと言う。結局みんな賛成する。

20:20 タクシー乗り場へ歩いているとロワシーバスが来る。みんな一瞬、激しく葛藤する。ところがヒジョンのお父さんが、もうタクシーで行こうと言う。「タクシーならすぐだよ」と言う。その言葉にみんなだまされる。ヒジョンのお父さんはパリが初めてだ。どうしてみんなヒジョンのお父さんの言うことを聞いたのか、すぐ後悔する。

20:21 タクシーを待つ客がものすごく多い。列が長い。これからはヒジョンのお父さんの言うことを聞いてはいけないと思う。

20:30 やっとタクシーに乗る。父さんが運転手に何か言う。韓国語ではないことだけは確かだ。父さんが助手席に座る。

20:35 パリでは乗客が三人でも助手席には勝手に座れないと父さんが教えてくれる。助手席に座るには運転手の許可が必要なのだそうだ。ヒジョンが驚く。僕も驚く。

21:30 パリ市内が見えてくる。ヒジョンと顔を見合わせて笑う。なぜかまだ日が沈んでいないのか、明るい。映画『アメリ』の中に入ったみたいだ。

21:55 宿の前の赤い門が見える。ついに到着! タクシー運転手はたっぷりチップを受け取る。

22:00 今ごろソウルは午前5時。

荷物を全部運び込み、ゆっくり家の中を見て回った。家は小さく狭かったが、居心地がよかった。いちばん印象的なのは丸太の柱だった。天井の木の梁もむき出しになっていた。何百年もたっているような家だった。ソウルのコンクリートのマンションとは、本当にまるで違った。

僕は父さんといちばん広い部屋を使い、ヒジョンのお父さんとヒジョンは、それぞれ小さな部屋を一つずつ使うことにした。そうはいっても、三部屋とも鼻くそほどしかない。

パリで何もしていないのに、初日がこうして終わる。

時間よ、止まってくれ!

ヒジョンと僕が作った元の予定表では、今日はルーヴル美術館へ行くはずだった。ところが寝坊して、行けなかった。朝、目を覚ますと10時30分だった。うちの父さんだけは早く起きていた。父さんは一人で宿の近くを見てきたそうだ。ゴンクール駅とレピュブリック駅まで行ってきたという。

ヒジョンのお父さんがトイレから出てくるころには、ちょうど昼ごはんの時間になっていた。一食分の食費を節約したことになる。

「先輩、ここから5分くらいのところに、なかなかいい店があるんです。そこで食べましょう」

「そうか? 君はパリは二度目だったか? 三度目だったか?」

「二度目です。でもずいぶん昔なので、記憶があいまいです」

「父さん、前にパリへ来たことがあったんですか? どうして教えてくれなかったんですか?」

僕が驚いて聞いた。

「知らなかったのか? 知ってると思ってた」

「私たち、知りませんでした」

ヒジョンも口を挟んだ。

「お前たちが赤ん坊のころに来たんだから、パリの話をする機会なんてなかったんだよ」

考えてみると、父さんとまともに会話するようになったのは最近のことだ。父さんが会社員だったころ、僕は父さんの顔をあまり見た記憶がない。

「先輩、あそこです。オテル・デュ・ノールって見えるでしょう?」

「オテル・デュ・ノール? あれ、もしかして『北ホテル』じゃないか?」

「そうです。本もあるし、映画もあります」

「そうか、俺も思い出した。昔、名画座で見たよ」

ヒジョンのお父さんの顔がぱっと明るくなった。

「そうだ、『北ホテル』だ。こんなところがまだ残ってるなんて。すごいな」

「僕も知らなかったんですが、ビョクの叔父さんが貸してくれた本に載っていたんです。今はホテル営業はしてなくて、レストランだけだそうです」

「驚いたな。すごい」

「昔、サン・マルタン運河を歩いたときにも見た気がするんですが、そのときは気にも留めなかったみたいです。でも今朝、わざわざ探してみたら、『北ホテル』がうちの宿のすぐ裏でした」

「父さん、これがサン・マルタン運河なんですか?」

「うん、これがサン・マルタン運河だ」

「わあ!」

ヒジョンと僕が同時に叫んだ。

「まさかパナマ運河でも想像してたんじゃないだろうな?」

うちの父さんが笑いながら言った。

ヒジョンと僕は顔を見合わせた。

口元に笑みが広がる。

見つけた!

サン・マルタン運河!

脂っこいフランス式の昼食を食べて、僕たちは運河沿いを歩いた。サン・マルタン運河は本当に鼻くそほど小さかった。運河のこちら側から向こう側まで渡るのに30秒もかからない。アメリが水切りをしていた場所がどこなのかも分からない。どこも同じに見えた。

でも構わない。

僕たちはサン・マルタン運河を歩いている。

うちの父さんとヒジョンのお父さんは、まるで昔からの親友みたいに仲がいい。

うちの父さんは、分かるようで分からない。

父さんが、今日は旅行初日だから無理をせず、何か所かだけ見て回ろうと言った。博物館や美術館へ行くなら朝早く動かなければならないそうだ。列が長いので、今から行っても入れないらしい。

そこで僕たちはエッフェル塔を見に行った。

ヒジョンと僕の予定表では、エッフェル塔にいちばん近い駅はビル・アケム駅だった。ところが父さんは僕たちをトロカデロ駅へ連れていった。

ヒジョンと僕は不安なまま父さんについていった。

地下鉄駅の外へ出ると、エッフェル塔が一望できた。

父さんが正しかった。

本当に、手を伸ばせば届きそうなくらい目の前にエッフェル塔が広がっていた。

でも人が多すぎた。

ヒジョンが僕の手を握った。

僕もヒジョンの手をぎゅっと握った。

別にほかの意味があったわけではない。

ヒジョンを見失わないためだ。

ヒジョンのお母さんが僕に心を込めて頼んだではないか。

「ビョク、うちのヒジョンをよろしくお願いしますね」

と。

「先輩、船は好きですか? すぐ隣が海洋博物館ですよ。人も少ないし、けっこう見応えがあります」

「父さん、そこは明後日の予定なんだけど……」

「そうか? せっかく来たんだから見ていこう」

僕たちの予定表が崩れ始めている。

ヒジョンと僕は、とりあえずうちの父さんを信じてみることにした。

海洋博物館は本当にすごかった。

実物大の船まで展示されていた。

さまざまな帆船をはじめ、潜水艦、航空母艦、軍艦などが模型で作られていた。

模型のほとんどが僕の背より大きかった。

展示室の隅には、模型を作る部屋がガラス越しに公開されていた。

うちの父さんが、オベリスクをエジプトから運んでくる模型について説明してくれた。

「でもオベリスクって、エジプト政府から贈られたって話じゃなかったか? どこかで見た気がするんだけど……」

「フランスのシャンポリオンが古代エジプトの象形文字を解読した、その記念に贈られたそうですよ。でもそれはフランス人側の話でしょう。エジプト人に直接聞いたら、何て言うのか気になりますね」

「そうだな。フランスもイギリスも略奪文化財で大金を稼いでるんだから」

僕たちのパリ旅行に品格が加わった気がした。

父親たちがこんな高度な会話をするなんて。

それはそうと、海洋博物館には人もほとんどいないのに、ヒジョンが僕の手を離さない。

昨日、オペラ座近くの韓国食料品店で買った米とおかずで、簡単な朝ごはんを作った。

ヒジョンのお父さんが、たった一日で韓国式のごはんが食べたいと歌うように繰り返したからだ。

今日は豚足を買って食べると言う。

うっ!

豚足だって。

ここはパリですよ。

パリ!

ヒジョンのお父さんがトイレに30分も入っていたせいで、今日もルーヴルはあきらめた。

すると父さんが、毎月最初の日曜日は入場無料だから、博物館は8月7日に行こうと言った。

いつの間に父さんがこんなに旅行の準備をしていたんだろう。

雨で道が濡れていた。

からからに乾いていた犬の糞が雨水に溶けて流れている。

パリの街じゅうに犬の糞の匂いが漂っていた。

ときどき人間の糞も混じっていた。

糞の水が流れるパリ。

とても印象的だ。

雨が降っているのに、ホームレスたちは雨宿りもせず道端で寝ていた。

ヒジョンはホームレスを見るたびにコインを一枚ずつ渡している。

パリには100メートルごとにホームレスが一人いるような気がする。

今日はモンマルトルの丘へ行った。

丘の入口にある『アメリ』の風車カフェにも寄った。

日本人の女性が多かった。

映画とは違って、タバコを売っている場所はなかった。

モンマルトルの丘からパリの街を眺めた。

パリには高い建物がないので、視界が大きく開けていた。

丘を下りながら、『壁抜け男』という彫刻を見た。

僕には「壁にはさまった男」に見えた。

ヒジョンのお父さんが、モンマルトル墓地にも少し寄ろうと言った。

そこには映画監督フランソワ・トリュフォーの墓があるそうだ。

ヒジョンと作った予定表は、どんどん後回しにされている。

ヒジョンのお父さんは、フランソワとトリュフォーはロミオとジュリエットみたいに二人ではないという、この世でいちばん寒い冗談を言った。

暑い8月のパリで、僕たちは寒気を感じた。

ヒジョンのお父さんは、映画監督になるのが夢だったらしい。

家族の反対が激しかったそうだ。

フランソワ・トリュフォーについて、ヒジョンのお父さんとうちの父さんがいろいろ話した。

でも僕には何の話なのか分からなかった。

そこでヒジョンと僕は手をぎゅっと握り、墓地を散歩した。

街の真ん中に墓地があるなんて変な感じだった。

生きている者と死んだ者が一緒にいる感じが、ただただ不思議だった。

この大きな墓地で、僕の知っている人を一人見つけた。

音楽家ベルリオーズ。

もちろん、彼の音楽を聴いたことはない。

名前だけ知っている。

当然、どこで聞いた名前なのかは覚えていない。

母さんが父さんの禁煙状況を確認するため電話してきた。

僕は、まだ禁煙中だと報告した。

母さんは父さんに、旅行が終わって帰国したら保険会社の健康体検査を申し込むと言った。

もしタバコを一本でも吸えば健康体から脱落だから、あとは自分で考えなさいと言った。

脱落は、そのままサバティカル休暇の終了だ。

父さんの顔が暗い。

今日は雨が降らなかった。

でも空には雲が多い。

ソウルの空とは違って、雲が低くて、もこもこしている。

ヒジョンがこう言った。

「雲がマグリットの絵みたい」

ううっ!

マグリットって誰だ?

パリに来て4日目。

もうすっかりパリジャンになった気がする。

外国人も見慣れてきた。

今朝はオルセー美術館へ行った。

最上階にある印象派の画家たちの絵を見た。

何を言う必要があるだろう。

僕はドガという画家の絵が好きだった。

斜めにずれた構図が気に入った。

ヒジョンはゴッホの絵の前で長い時間を過ごした。

特に『昼寝』という絵がいちばんいいと言った。

僕もドガよりゴッホのほうが好きになった。

特に『昼寝』をいちばん好きなことにした。

マネの絵に出てくる、眉の濃い美人は誰だろう。

ヒジョンに似ている気がする。

うちの父さんとヒジョンのお父さんが、今日は少し歩こうと言う。

毎日、足に豆ができるほど歩いているのに、今日は少し歩こうだなんて、いったいどういう意味だ?

昨夜、豚足と一緒にワインを二本も飲んでいたときから怪しいと思っていた。

父親たちのおしゃべりがうるさくて大変だった。

僕たちは地上を走る地下鉄に乗り、コルビザール駅で降りた。

そして父さんについて坂を上り、公園を通り、変な版画のような絵が壁に描かれた通りを歩いた。

父さんはヒジョンのお父さんに、パリ・コミューンだの亡命だの血の虐殺だのと、ずっと話していた。

ヒジョンと僕には、大人たちが何を話しているのか分からなかった。

でも、この静かな路地を歩くのはよかった。

ビュット・オ・カイユというこの場所は、まるでパリの島のようだった。

昨日の午後に寄ったシテ島やサン・ルイ島は、島らしくなかった。

人が多すぎて歩くのも大変で、どこへ行っても列が長く、結局何もできなかったからだ。

日差しが強くなると、うちの父さんとヒジョンのお父さんはビールを一杯飲むと言い、鼻くそほどの広場の角にある「ル・ディアマン」というパブに入った。

ヒジョンのお父さんはギネスを注文したが、ないと言われた。

父親たちは残念そうに、太った店主が勧めた生ビールを飲むしかなかった。

のんびりした午後。

観光客を避けてここへ来てよかった。

ところで、凱旋門、シャンゼリゼ、モンパルナス、ポンピドゥー・センター、サン・トゥアンの蚤の市、オランジュリー美術館、ロダン美術館なんかは、いつ行くんだ?

もう何日も残っていないのに。

非常事態だ!

ヒジョンは昨日のビュット・オ・カイユが気に入ったのか、うちの父さんに、今日はどこへ行くのかと聞いた。

そんな!

ヒジョンまで裏切るなんて!

父さんは今日はサンテ刑務所へ行こうと言った。

え?

そこに誰か捕まっているのか?

それとも誰かを脱獄させなければならないのか?

凱旋門とシャンゼリゼはどうするんですか!

サンテ刑務所は本当に印象的だった。

街の真ん中に、あんなに高い塀の刑務所があるなんて。

刑務所の塀の近くに簡易トイレもいくつかあったので助かった。

ヒジョンのお父さんが、ところかまわずトイレを探すからだ。

フランス料理が体に合わないらしい。

僕が刑務所をスマートフォンで撮っていると、通りかかったおじさんが写真を撮るなと手で合図した。

写真撮影禁止なのかもしれない。

僕たちはサンテ刑務所からぶらぶら歩いて、モンパルナス墓地にも行った。

モンパルナスタワーには入らなかった。

父さんによると、あんなものならソウルにもいくらでもあるそうだ。

でもモンパルナス墓地にはサルトルがいると言った。

モンパルナス墓地で、僕たちはもうずっと昔に死んだ人たちを何人も見た。

父さんが詳しく説明してくれたが、ほとんど知らない人だった。

哲学者サルトルとボーヴォワール。

名前がやわらかそうな詩人ボードレール。

でも、この人の詩は名前とは違って少し怖いらしい。

ソウルへ戻ったら探して読んでみよう。

歌手セルジュ・ゲンズブールと映画俳優ジーン・セバーグ。

ヒジョンのお父さんは、ジーン・セバーグの墓碑の前で、まるで昔の恋人に会った人のように見えた。

そしてうちの父さんにこう言った。

「夜、一杯どうです?」

まるで昨日は酒を飲まなかった人みたいに。

ソウルに帰って友達に、パリで何を見たのかと聞かれたら、

「僕たちはパリで刑務所と墓地と丘を見た」

と答えなければならない状況だ。

全面的な難局だ。

うわあ!

幸い、今日はルーヴル美術館へ行った。

略奪文化財だとヒジョンのお父さんがいくら言っても、すごいものはすごい。

06:00 起床。うちの父さんがヒジョンのお父さんに、先にトイレへ行っておいてくださいと言う。

06:30 ヒジョンのお父さんがトイレから出てくると、一人ずつシャワー開始。

07:25 朝食準備完了。三人分だけ用意。ヒジョンのお父さんは朝食禁止。

07:45 食事終了。

07:55 皿洗い終了。

08:00 ルーヴルへ出発。

08:35 ルーヴル到着。父さんはカルーゼル凱旋門入口の列には並ばず、変な場所へ連れていく。こちらは列がとても短い。カルーゼル凱旋門側はすでに人、人、人!

09:00 入場開始。カルーゼル凱旋門側の列は数百メートルに伸びる。父さんが右手で勝利のVサインを作る。ヒジョンが大笑い。もちろん僕も笑う。

09:10 ヒジョンのお父さん、トイレ入場。

09:25 ヒジョンのお父さん、トイレから出る。

09:30 それぞれ自由に見て、12時30分に集合しようとヒジョンが強く主張。全員賛成。僕とヒジョンはドゥノン翼へ、ヒジョンのお父さんはシュリー翼へ、うちの父さんはリシュリュー翼へ入る。

09:35 ヒジョンとはぐれないよう、僕から先にヒジョンの手をぎゅっと握る。ヒジョンのお母さんのお願いもあるし……。

10:15 感嘆、また感嘆。ミケランジェロの『反抗する奴隷』と『瀕死の奴隷』を見て、ぼう然となる。『瀕死の奴隷』は服くらい着てほしい。ヒジョンと見るには少し恥ずかしい。『プシュケとクピドの接吻』も一緒に見るには少し恥ずかしい。手にどんどん汗をかく。

10:25 サモトラケのニケを見てびっくりする。ものすごく雄大。一人の中国人のおじさんがニケ像に触りながら写真を撮っていて、かなり慌てる。警備員が「シルヴプレ、シルヴプレ」と叫ぶが、中国人のおじさんは聞こえないふりをして写真を撮り続ける。

10:27 とうとう警備員が大声で「シルヴプレ! シルヴプレ!」と叫んで止める。その拍子に警備員のかつらが床に落ちる。

10:30 警備員、かつらを直す。

11:25 モナ・リザを100メートル後方からやっと見る。モナ・リザの隣に、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた別の女性の絵が一枚ある。その女性は笑っていないからなのか、誰も関心を示さない。近くで見ると、本当に感じの悪い顔だった。

11:55 足の裏が痛い。絵なんてもうどうでもいいから椅子に座りたい。でも椅子は腹の出たおじさんたちのもの。ヒジョンと僕は博物館の隅の床に座って休む。ヒジョンが座れるように、僕がハンカチを敷いてやる。

12:15 見られる絵は全部見た。もう絵にも飽きた。

12:30 約束の場所へ行くが誰もいない。うちの父さんとヒジョンのお父さんが道に迷ったものと推定。父親たちを探して周囲を見回す。

12:45 うちの父さんとヒジョンのお父さんがカフェに座っている。二人が僕たちに、どうして今ごろ来たのかと言う。やれやれ!

13:00 館内のカフェで軽く食事。

13:30 午後の見学のため、ヒジョンと二人で席を立つ。父親たちはゆっくり見るから、お前たちは好きなだけ見てこいと言う。ここへ戻ってくればいいそうだ。

14:05 エジプト展示室見学。

15:15 エジプト展示室を見終わると、ミイラになりそうだ。脚の感覚がない。

15:55 道に迷う。フランス古典絵画ばかり延々と出てくる。フランス式風景画にうんざり。

16:05 館内のあちこちに半分倒れたおじさんが続出。背中をもたせられる場所には必ず腹の出たおじさんが寄りかかっている。長い木のベンチはおばさんたちが占領。

16:30 行き止まりの部屋に着く。そこで変な絵を一枚見る。ヴァトーという画家の、ちっともおかしそうに見えないピエロの絵だった。ヒジョンが半分魂を抜かれたようにその絵を見る。もちろん僕も一緒に見る。ヒジョンがその絵をスマートフォンで撮る。愛らしい絵だった。

16:55 カフェへ戻る。うちの父さんとヒジョンのお父さんは一歩も動かず、まったく同じ場所に座っている。

17:15 ルーヴル近くの韓国食料品店で、豚足、刺身などを大量に買う。

17:20 父さんにタクシーで帰ろうと言う。父さんは、この程度で何がタクシーだと言う。父親たちはカフェに座って休んでいたから脚が痛くないけれど、僕たちは痛いと言う。父さんは駄目だと言う。

17:25 ヒジョンがうちの父さんに、タクシーに乗りたいと言う。

18:05 タクシーで家に到着。

夕食を終え、僕が父さんにセーヌ川の遊覧船にはいつ乗るのか聞いた。

すると父さんはこう答えた。

「ビョク、ソウルの人間が漢江の遊覧船に乗るか?」

「いいえ。でも、それが何ですか?」

「パリの人間が遊覧船に乗ると思うか?」

「僕たちはパリの人間じゃないじゃないですか」

「だから言ってるんだ。田舎者しか乗らないって」

ひとまず戦略的撤退だ。

あとでヒジョンに頼もう。

うちの父さんはヒジョンの言うことならよく聞く。

ヒジョンのお父さんが、旅の疲れがたまっているから今日は一日休もうと言う。

えっ!

昨日ルーヴルで一日じゅう休んでいたくせに、また休むだって。

オテル・デュ・ノールで昼食を食べ、ヒジョンのお父さんは家へ帰った。

うちの父さんとヒジョンと僕は散歩をした。

ヒジョンのお父さんが、日が暮れる前に帰ってこいと言った。

ところがパリの夏の日は本当に長い。

10時を過ぎて、ようやく薄暗くなる。

それならいったい、帰ってこいというのか。

帰ってくるなというのか。

僕たちはサン・マルタン運河を歩いていて、一艘の船が運河を通るところを見た。

ところが船があまりにも遅くて、運河を全部通り抜けるには何日もかかりそうだった。

父さんについて、ゴンクール駅からチャイナタウン方面へ散歩した。

本当にここは留学生夫婦が言っていたとおり、人種の展示場みたいだった。

アラブ人から中国人まで、さまざまな格好の人々が集まって暮らしていた。

ここの市場はソウルの昔ながらの市場に似ていた。

ところが真っ昼間から男たちがカフェに居座っている姿を、あまりにもよく見かけた。

みんな仕事がないのか?

それとも妻が稼いでいるのか?

変わった人たちだ。

父さんがカフェに入ってコーヒーを一杯飲もうと言った。

非常事態だ。

足首を錆びた釘で引っかいて、三針も縫った。

今日はクリュニー中世美術館へ行く予定だった。

ところが、犬がしたばかりらしい、ものすごい量の糞を踏んで、つるっと滑った。

しかも滑った拍子に、捨てられた椅子から突き出ていた釘が足首に刺さった。

ヒジョンのお父さんが見ると、傷は深くないけれど破傷風の注射を打ったほうがいいと言った。

僕たちは親切なアラブ人のおじさんのおかげで、サンジェルマンからノートルダム大聖堂の隣にあるオテル・デュー病院の救急外来まで、すぐに行くことができた。

このアラブ人のおじさんがいなかったら、病院を探してものすごく迷ったかもしれない。

幸い、そのおじさんは僕が犬の糞で滑って釘に刺さるところを目撃していたので、救急外来の医師に詳しく説明してくれた。

医師は僕の傷を見ると、大したことではないから、とりあえず待てと言う。

命がかかっているのに待てだって!

この医者、本当に医師免許を持っているのだろうか。

うちの父さんがアラブ人のおじさんに、お礼を渡そうとしたが、おじさんは丁寧に断った。

待合室にいるあいだ、ヒジョンが僕の手をぎゅっと握ってくれた。

実は僕はあまりに驚いて、そこまで足首が痛いことにも気づいていなかった。

ついに医師が僕を車椅子に座らせ、処置室へ連れていった。

ヒジョンのお父さんも一緒に入った。

破傷風の注射を一本打ち、三針も縫った。

医師は幸い、命には何の支障もないと言った。

僕たちは消毒薬の処方箋を一枚だけもらって病院を出た。

足を引きずって出てくる僕を見ると、父さんが「犬の糞」と呼ぶ。

ううっ!

僕が処置室に入っているあいだ、ヒジョンは犬の糞を踏んだ僕の靴をきれいに洗ってくれていた。

足首がずきずきするのでタクシーに乗らなければならないと言うと、父さんは大げさにするなと言った。

ヒジョンのお父さんがタクシーを止めてくれて、楽に家まで帰ることができた。

家ではヒジョンが僕の世話をしてくれる。

けがしてよかったような気もする。

ところで、今日は病院代を払わずに帰ってきた。

空港で捕まるんじゃないか心配だ。

パリへ来てもう十日目なのに、僕たちはこれまで怖い刑務所と陰気な墓地と静かな丘とアルコール臭の充満した病院へ行った。

もちろんルーヴルとオルセーにも行ったけれど、何かに取り憑かれたような旅行だ。

そのうえ脚まで引きずって歩かなければならない。

格好がまるでよくない。

今日は本当に、何か意味のある、旅行らしい旅行がしたかった。

たとえばエッフェル塔の夜景とか、セーヌ川の遊覧船とか。

それが駄目なら、凱旋門の威容を眺めてから、シャンゼリゼをヒジョンと二人で歩きたかった。

ところがヒジョンのお父さんの下痢がひどくて、家から出られなかった。

非常用に持ってきた下痢止めを飲み、ようやく落ち着いた。

ヒジョンとサン・マルタン運河を散歩した。

サン・マルタン運河、もう飽きた。

パリ最後の日だ。

ヒジョンのお父さんの体調がよくなったので、僕たちは朝早く凱旋門に上り、シャンゼリゼを歩き、セーヌ川で遊覧船にも乗った。

でも思っていたより、どれもつまらなかった。

ビュット・オ・カイユの静かな路地が恋しくなるほどだった。

サンテ刑務所の高い塀の下を歩いたほうがよかった気さえする。

午後はオランジュリー美術館で、モネの巨大な絵を見た。

モネは目に白内障でもあった人なのだろうか。

絵がどうしてこんなにぼんやりしているんだ。

ナポレオンは、大きいものは全部美しいと言ったんだったか?

とにかく絵は大きかった。

エッフェル塔の夜景を見るため、家で夕食を食べてから外へ出た。

酒のない初めての夕食だった。

どうして僕たちが一度もパリの夜景を見られなかったのか、その答えをついに見つけた。

僕たちはトロカデロ駅で降りて、エッフェル塔の夜景を見た。

人でぎゅうぎゅうのそこで、何とか記念写真を一枚撮ることができた。

そして凱旋門からシャンゼリゼの夜景をもう一度見た。

でもなぜか、ビュット・オ・カイユの静かな路地のことばかり思い出した。

「混みすぎて嫌だね。そう思わない?」

ヒジョンが言った。

「うん。僕はビュット・オ・カイユのほうが好きみたい」

「私も。サンテ刑務所の塀の道とか、モンパルナス墓地のほうが好き」

「変だね。そう思わない?」

「あなたのお父さん、何か分かってる人みたい」

帰り道、ヒジョンのお父さんが最高級ワインを二本買った。

パリ最後の夜に、酒がないわけにはいかないのだろう。

二日酔いで頭が痛い。

ヒジョンのお父さんが将来の婿にワインを一杯勧めた。

僕は将来の義父の頼みを断りにくくて、一気に飲んだ。

そのあとのことは何も覚えていない。

まさか酒癖の悪いことはしていないだろうな!

ところで一緒にワインを飲んだヒジョンは、どうして平気なんだ?

僕より酒に強いらしい。

たぶん家系だろう。

父さんは僕たちを空港まで見送ってくれた。

父さんと別れるとき、特に言うこともなかったので、

「タバコ吸わないでください!」

と叫んだ。

父さんが気まずそうに笑った。

父さんは何を考えているのだろう。

気になる。

僕は父さんのことを、よく知らない気がする。

幸い、出国審査でオテル・デュー病院の治療費を問題にする人は誰もいなかった。

審査官のおじさんは、自分の仕事にまるで興味のない人のように見えた。

一日じゅう他人のパスポートにスタンプを押しているだけなのだから、いったい何が面白いというのだ。

シャルル・ド・ゴール空港の免税店で、僕はボールペンのセットとエッフェル塔の形をしたキーホルダーを土産に買った。

ヒジョンのお父さんは、パリ旅行の記念に、秋に着られる白いセーターをヒジョンに買ってあげた。

ヒジョンはセーターを胸に当てて、僕にかわいいかと聞いた。

もちろん。

当然かわいい!

僕たちのパリ旅行は、こうして終わろうとしていた。

まさか明日、ジョンス叔母さんが数学の授業をしようなんて言わないよな。

頼む!

疲れすぎて何も書けない。

時差ぼけで眠くもならない。

そのうえ天気まで曇っているので、体じゅうがだるい。

母さんが、祖父母の家へ挨拶に行ってきなさいと言った。

祖母は僕の足首を見ると、

「うちのかわいい子、苦労したね」

と言って頭をなでてくれた。

祖父は何がいちばんよかったのかと聞いた。

僕はビュット・オ・カイユという丘で過ごした、のんびりした時間がいちばん心に残ったと答えた。

暖かい日差しと、時間が止まったような静けさ。

観光客であふれたパリの名所より、なぜかあの場所が心の片隅に残っている。

自分の部屋でパリの地下鉄の切符や博物館の入場券などを整理していると、ドンワンから電話がかかってきた。

パリ旅行はどうだったかと聞かれた。

僕は、ただよかったとだけ答えた。

とてもパリの刑務所や墓地や丘や、べちゃべちゃの犬の糞や、陰気な病院のことまで話すことはできなかった。

そういう話は、会ってゆっくり話したほうがよさそうだ。

ジョンス叔母さんと叔父さんに挨拶に行った帰り、ヒジョンの家へ寄った。

ヒジョンのお母さんが喜んで迎えてくれた。

ヒジョンのお兄さんは勉強に行ったのか、家にはいなかった。

ヒジョンも昨日一日は時差ぼけで苦労したそうだ。

雨さえ降らなければ、漢江へ自転車に乗りに行ったのに……。

ヒジョンと印象派画家の画集を見ながら過ごした。

実際に見た絵を画集でもう一度見ると、不思議だった。

ところがヒジョンは、オルセーで見た絵は三次元だったのに、画集の絵は二次元だと言った。

ヒジョンの話を聞いていると、画集の絵が少し平べったく見えてきた。

もうすぐ学校が始まる。

うわあ!

もし光復節でなかったら、今日が学校の始まる日だったはずだ。

1945年8月15日の大韓独立を熱烈に歓迎する。

光復節のように意味深く重要な日は、三連休にしたほうがいい。

長すぎるなら、二日くらい休みでもいいと思う。

ドンワンとジョングがうちへ遊びに来た。

ドンワンはモンゴルで二週間過ごし、ジョングは英語キャンプでヘソンと楽しく過ごしたそうだ。

僕はパリの刑務所と墓地と丘と犬の糞とホームレスと病院の話をした。

もちろんルーヴルとオルセーの話もした。

ところがこいつらは、僕の真剣なパリ旅行記にはまるで興味がなく、僕がヒジョンとキスしたのかどうかばかり聞く。

僕のレベルに合う友達が必要だ。

学校が始まった。

やはり僕とヒジョンのパリ旅行が、圧倒的な話題だ。

僕は男子たちに囲まれ、ヒジョンは女子たちに囲まれた。

僕は、うちの父さんとヒジョンのお父さんが大学の先輩後輩なので一緒に旅行へ行くことになり、たまたま僕とヒジョンまで同行することになったのだと、品よく説明してやった。

少し事実とはずれているけれど、作り話ではないではないか。

ところがこいつらは、僕がパリでヒジョンとキスしたのかどうかにしか興味がない。

こいつらも本当に……。

それは秘密だ。

淑女の自尊心というものがある。

僕がそんなことを、お前らに言いふらして歩くと思うか?

この野郎ども!

放課後、家へ帰る途中で、ジョングがドンワンに学級委員長選挙に出てみろと勧めた。

「ドンワン、お前、今度出てみろよ。委員長やったら上手そうだ」

ジョングの口から「シバ」と「チョルラ」が消えていた。

「おい、イ・ジョング。お前、もう悪口言わないんだな」

僕が聞いた。

「うん。英語キャンプでヘソンがずっと文句言うから、もう言わないことにした」

「そうなの?」

「悪口言わなくても、ちゃんと話は通じるんだよ」

「よくやった、イ・ジョング」

僕が言った。

「それはそうと、ドンワン、お前、本当に委員長選挙に出てみろよ。人気あるじゃないか」

「でも、俺、あんまり自信ないんだ」

「なんで?」

ジョングが聞いた。

「俺、半分しか韓国人じゃないだろ」

ドンワンの表情が少し暗くなった。

「おい、そんなの関係あるかよ。もうモンゴカンジャンってからかうやつもいないだろ。大丈夫だ!」

ジョングがドンワンを励ました。

ドンワンは家へ帰って、両親と相談してみると言った。

僕はこれまで、ドンワンが自分を「半分しか韓国人ではない」と思っていたなんて知らなかった。

僕はドンワンのことをよく知っていると思っていたのに、そうでもないらしい。

人は心の中で考えていることを、なかなか表に出さないようだ。

ドンワンが委員長になったらどう思うか、ヒジョンに聞いてみよう。

ヒジョンは、ドンワンが委員長をやれば上手だと思うと言った。

女子にも人気があるそうだ。

ドンワン本人だけが知らないらしい。

ヒジョンは前学期、副委員長に選ばれて仕方なくやったけれど、もうあんな肩書きは欲しくないと言った。

そんな時間があるなら、僕と一緒にもっと勉強しようと言う。

そのとおり!

僕がどうして委員長選挙に出ないと思ってるんだ!

ジョングに背中を押されて、ドンワンが結局、委員長候補になった。

ジョングとヒジョンが推薦した。

僕はドンワンの隣の席なので、わざと推薦者にはならなかった。

シン・ボラムとユ・ハヌルも候補になった。

最後に、性格のいいチョルウクも推薦されて候補になった。

内気なチョルウクが委員長候補になったのは意外だった。

チョルウクは勉強がそれほどできるわけでもなく、運動が得意なわけでもない。

それでもみんなに人気がある。

ヒジョンによると、チョルウクは人の話をよく聞いてくれるそうだ。

だから女子たちに人気があるのだという。

とにかく来週の水曜日が委員長選挙だ。

僕が見るかぎり、ドンワンが圧倒的な票差で勝つと思う。

でもチョルウクが変数なので、油断は禁物だ。

久しぶりに数学の勉強をした。

ところが数学の公式が、どうしてこんなに見慣れないのか分からない。

初めて見るものみたいだ。

大変だ。

ジョンス叔母さんは、今週の土曜日にこれまで習った内容の試験をすると言った。

朝から下痢だ。

特に変なものを食べたわけでもないのにお腹が痛くて、登校するとすぐトイレへ直行した。

ところがトイレで変な会話を聞いた。

「なあ、3組のモンゴカンジャンが委員長選挙に出るんだって」

「うん。チョルラ笑えるだろ?」

「だよな。勉強もできるし運動もできるのは分かるけどよ、シバ、いくらなんでもモンゴカンジャンが学級委員長なんてなれるかよ」

「ああ、シバ、チョルラ笑えねえって」

「モンゴカンジャンが委員長になったら、そのうち1組のベトコンまで生徒会長やるって騒ぎ出すぞ」

「3組のやつらも情けねえな。シバ、そんなに人材いねえのかよ」

僕は下痢止めを十錠くらい飲んだみたいに、突然ぴたりと下痢が止まった。

いったい声の主が誰なのか確かめようと、トイレの扉の隙間から見たが、後頭部しか見えなかった。

後始末をしてトイレの扉を開けると、もうあいつらはいなかった。

本当に気分の悪いやつらだった。

でも、この話は誰にも言わなかった。

うちのクラスには、あんなひどいやつはいないからだ。

昨日遅くまで数学を勉強したおかげで、ジョンス叔母さんの数学テストにぎりぎり合格した。

叔母さんは、これからはもう少し難しい問題集で勉強しようと言った。

ヒジョンが、よくやったと褒めてくれた。

最近、生きるのが少し楽しい。

久しぶりにジェイミーおじさんとも楽しい時間を過ごした。

パリであった変な出来事を話してあげた。

おじさんは、みんなが行く観光名所より、自分の心に残る自分だけの場所を見つけるのも旅行の楽しみだと言った。

考えてみると、ビュット・オ・カイユが僕だけの場所なのかもしれない。

僕はおじさんに、パリで車椅子に乗ったと話した。

本当に怖くて大変だったと言うと、おじさんは、もう二度と乗らないよう気をつけろと言った。

一度で十分で、二度乗るものでは絶対にないそうだ。

そうですよ、おじさん。

来週からヒジョンもジェイミーおじさんと英語を勉強することになった。

僕がつっかえながらでも少しずつ話しているのを見て、ヒジョンもおじさんに習いたいと言ったのだ。

よかった。

僕が数学を勉強するとき、ヒジョンは英語を勉強する。

僕が英語を勉強するとき、ヒジョンは数学を勉強する。

僕たちは夢のコンビだ。

でも韓国へ帰ってきたら、ヒジョンと手を握る機会がない!

父さんがいないので、細々した家事は全部僕の担当だ。

朝ごはんを食べて、資源ごみを整理して捨てに行くと、シシナおじさんが僕を見て挨拶した。

「ビョク、パリは楽しかったか?」

「こんにちは、おじさん」

僕はうれしく挨拶した。

「はい。楽しかったです」

「そうか。よかったな。パリにはスリランカ人も多いと聞いたけど、俺もいつか行ってみたいな」

「そうですね。ぜひ行ってみてください。パリには黒人も多いし、東洋人も多いし、アラブ人も多いです。僕たちの泊まっていた宿の近くなんて、むしろフランス人があまりいませんでした」

「フランス人はみんなバカンスに行ったのかな?」

「ああ、そうなんですか?」

「それは俺も知らないよ」

おじさんが明るく笑った。

シシナおじさんはいつも口元に笑みを浮かべている。

何がおじさんを楽しくさせているんだろう。

「ビョク、ここから九老まで直通のバスはあるか?」

「バスですか? 地下鉄ならすぐですよ」

「地下鉄じゃなくて、バスは何番に乗ればいいか知らない?」

「はい。地下鉄に乗ったほうがいいですよ。何駅もありませんから」

「うん。でも俺、地下鉄はあまり好きじゃなくて……」

おじさんの口元から笑みが消えた。

「どうしてですか?」

「俺が地下鉄に乗ると、周りにいた人たちが席を移るんだ。それがちょっとな」

おじさんの顔が暗い。

「ごめんなさい、おじさん」

僕は思わず、おじさんに謝った。

「お前が何を謝るんだ? 大丈夫だよ」

おじさんの口元に、また笑みが戻った。

「ちょっと待ってください。母さんに九老へ行くバスの番号を聞いてきます」

「いい、いい。大丈夫だ。地下鉄で行くよ」

おじさんが僕を止めた。

「またな」

おじさんは急いで路地を出ていった。

僕は気分がよくなかった。

数日前、トイレでドンワンの悪口を言っていたひどいやつらを思い出した。

そして、シシナおじさんの顔に一瞬落ちた暗い影が、僕の心に残った。

ジョングとヘソンは、こんなに暑いのにいつも手をつないで歩いている。

こいつら、暑くないのか。

うらやましがったら負けだとドンワンが言った。

何がうらやましいっていうんだ!

ヒジョンに、今週末は道峰山は遠すぎるから、南山にでも行こうと誘ってみようかな。

ヒジョンが、数学の英才クラスが終わったあと、女子たちと口論したそうだ。

何人かの女子が、モンゴル出身の子がどうして委員長になれるのかと言ったらしい。

ヒジョンがあまりにもあきれて、そんなことが何の関係があるのかと問い詰めると、ドンワンは勉強もできるし人気もあるけれど、委員長になるのはちょっと違うというのだ。

ヒジョンが、それはどういう意味なのかともう一度問い詰めると、モンゴカンジャンが委員長になるなんてあり得ないと言ったそうだ。

大変だ。

ドンワンに委員長選挙へ出ろなんて言わなければよかったかもしれない。

チョルウクが、うちのクラスの2学期の委員長になった。

ドンワンは、たった6票しか取れなかった。

つまり僕たち5人組以外では、たった一人だけがドンワンに票を入れたことになる。

ドンワンの顔が暗い。

ジョングはドンワンに、ごめんと謝りまでした。

でもドンワンは、お前たちのせいじゃないと言った。

そして気にするなと言い、逆に僕たちを慰めた。

僕はドンワンに何と言えばいいのか分からない。

何の道も見えない。

どうすればいいんだろう。

チョルウクが学級会を進行した。

とても上手だった。

勉強もたいしてできないし、内気な子なので今までよく知らなかったけれど、なぜか違って見える。

もちろん、ドンワンが委員長になっていても、きっとうまくやっただろう。

今日、こんなことを考えた。

もしドンワンが大人になって裁判官になったらどうだろう。

彼は公明正大な裁判官になろうとするだろう。

でもひょっとすると周りの人々は、ドンワンにはモンゴル人の血が流れていると言って差別するんじゃないだろうか。

むしろドンワンが引っ越しの荷物を運んだり、工場で機械を触ったり、普通の会社員だったりしたら、差別されることは少ないのかもしれない。

ドンワンが自分の能力を発揮すればするほど、もっと大きな差別を受けるような気がする。

どうしてうちのクラスの子たちはドンワンを認めなかったのだろう。

少し前までドンワンに難しい数学の問題を解いてくれと頼み、一緒にバスケットボールをしようとせがんでいた子たちが、どうして変わったのだろう。

チョルウクが優しくていいやつなのは分かる。

だからといってドンワンを嫌う理由はないじゃないか。

もしドンワンが委員長選挙に出ていなかったら、みんなはドンワンにこんな態度を取らなかったのかもしれない。

誰も口に出して言わないけれど、ドンワンに接する態度が前とは違う。

僕には分かる。

シシナおじさんは、韓国でどれほど大変なのだろう。

学校が終わったあと、バスケットボールの試合があった。

4組が前の試合の雪辱戦を申し込んできたからだ。

ドンワンは出なかった。

みんなもドンワンに一緒にやろうと言わなかったし、ドンワンもやる気がないように見えた。

当然、僕たちのクラスが負けた。

父さんからパリから電話があった。

父さんは相変わらず、パリの変な場所を探して歩き回っているらしい。

この前の日曜日には、パリの競馬場へ行ったと言う。

急に馬が走るところを見たくなったとか。

ソウルではこれまで一度も競馬場へ行ったことがなかった。

父さんは変だ。

競馬で旅行費用を全部すってしまったりしていないといいのだけれど……。

夜、寝ようとしてもドンワンのことばかり思い出すので、結局ドンワンに電話した。

「ドンワン、明日、川沿いへ自転車に乗りに行かない?」

「元気がない」

「じゃあ映画でも見に行こう」

「映画館は混んでるから嫌だ」

「ピザとかハンバーガーは?」

「俺はいいよ。悪いけど、一人で行くのが嫌なら、俺じゃなくてヒジョンと行けよ」

どうにもならない。

赤色警報だ。

ドンワンにも彼女を一人作ってやらなければならない。

母さんと二人きりで朝ごはんを食べると、なぜか少し物足りない。

母さんは父さんに会いたくもないようだ。

父さんはいつごろ帰ってくるのかと母さんに聞いたら、こう答えた。

「私が知るわけないでしょ?」

ひょっとして、母さんと父さんの結婚生活に何か問題があるんじゃないだろうな?

朝からついていない。

チョルジンのやつがドンワンをモンゴカンジャンと呼んだので、僕が叱ってやった。

今週はドンワンとチョルジンが日直なのだが、チョルジンのやつがドンワンに、

「今日はモンゴカンジャンが黒板を拭けよ。明日は俺が拭くから」

と言うではないか。

僕はその言葉を聞くなり、チョルジンのやつを壁際まで追い詰め、一度でもまたそう呼んだらぶん殴ると言った。

チョルジンのやつは怖気づき、僕の目を避けた。

何かがおかしい。

心配だ。

チョルジンのお母さんが学校へやって来た。

担任の先生が僕を職員室へ呼び、チョルジンに謝れと言った。

僕は謝れないと言い張った。

むしろ謝るべきなのは、チョルジンのほうだと言った。

チョルジンのお母さんが、

「こんな子、どこにいるのよ!」

と叫んだので、僕は、

「ここにいます」

と答えた。

職員室にいた先生たちが驚いて僕を見た。

僕が、チョルジンのやつが先にドンワンをモンゴカンジャンとからかったのだと話すと、担任の先生は、それでも友達を殴ったのは悪いと言った。

そこで僕は、チョルジンを殴っていないと言った。

でもチョルジンが何度も嘘をつくなら、次は本当に殴ってやると言った。

するとチョルジンのお母さんが大声でわめきながら、僕を殴ろうとした。

本当にキム・スヨン先生が止めに入らなかったら、何が起きていたか分からない。

これからはキム・スヨン先生を絶対にパッカサリとは呼ばない。

ヒジョンは、僕がチョルジンを殴らなかったのはよかったと言った。

もし僕がチョルジンを殴っていたら、事態はもっと悪くなっていただろうと言う。

実際、チョルジンのお母さんのせいで、うちのクラスの雰囲気は急変した。

チョルジンは嘘つきで情けないやつで、チョルジンのお母さんは余計な口出しをしただけだと、みんながひそひそ話している。

ヒジョンによると、クラスのみんなは、友達のために最後まで自分の考えを曲げなかった僕を褒めているそうだ。

僕たちがパッカサリとからかっていたキム・スヨン先生が出てきてくれたおかげで、チョルジンのお母さんの大騒ぎは収まり、結局チョルジンはドンワンに謝らなければならなかった。

うちのクラスでは、もう誰もドンワンをモンゴカンジャンと呼ばない。

でも僕は、まだ不安だ。

自分と考えの違う人たちと一緒に生きていくということが怖い。

もしチョルジンが僕の目を避けず、殴り合いになっていたら、何が起きていただろう。

考えるだけでも怖い。

クラス全員を、いや、学校の生徒全員を敵に回して生活していたかもしれない。

急に大人になったような気がする。

でも、この暗くて憂鬱な気分は何だろう。

ドンワンは今、何を考えているのだろう。

ドンワンのお母さんは、ドンワンに何を話してあげたのだろう。

そしてドンワンのお父さんは、どんな気持ちなのだろう。

今夜は父さんに会いたい。

父さんは今ごろ、パリからミラノへ向かう列車の中にいるだろう……。